
初めまして、そう社長です。
ここでは僕が『自信ゼロの安全主義ボーイが新卒1年目で
大手を辞めてフリーランスになった軌跡』と『当ブログの理念』をまとめました。
とりあえず30秒くらいで読める、
ザックリとした僕の歴史が次の通りです。
・就活に有利という理由のみでオープンキャンパスも
参加せずに理学部化学科の県名の付く大学に行く
・モテたすぎて独学で”恋愛心理学”を学んで
学内1位の美女と付き合うも1年後に浮気され破局
・学園祭に模擬店(揚げたこ焼き)を出し、大学史上最高額の
売り上げを出す。(なおこの結果ではもちろんモテないw)
・同じ大学だった社長にビジネスに誘われたり、
27歳フリーランスにコンサル誘われるも直前でビビって断る。
・茶髪のまま就活をやり、「度胸のあるヤツ」という理由で
外食日本1位の会社の内定をもらう。
・最後の成績発表で単位が1つ足りず留年通知をもらうが、
学校に抗議の文章を送り、大逆転で卒業を勝ち取る(死を考えた1週間)
・会社に嫌気が差して個人で稼ぐ道を探し、とあるメンターと出会い
本気で目指すべく収益ゼロのまま会社を辞める
・ビジネス開始3ヶ月で収益化し、Twitterフォロワー1000人突破。
・Twitterで出会った月収200万の24歳起業家(同い年)と
パフェ食べたりシーシャに行ったり、非日常を満喫する。
・自動化目指して毎日カフェで作業(現在)
こんな感じです。
今ではいつ寝て、起きても自由だし。
満員電車も、スーツも着ることなく。
パソコン1台で好きな時に仕事をして、好きな時に遊んでいます。
でも略歴の通り、今に至るまでには、
決して順風満帆でも華やかでもありませんでした。
『肩書き』『安全』これが人生の勝ち方、、、
親に迷惑をかけないよう良い大学に入って、
大企業に就職して、キレイなお嫁さんゲットして結婚し、
何不自由なく順調に生きていく・・・。
そんな人生が勝ち組なんだ、と思い描いていました。
なので当時の僕は『肩書き主義』かつ『安全主義』でした。
なぜ肩書きや安全に縛られるようになったのか・・・?
それは中学校が原因です。
小3から始めたサッカー。中学では市内で一番強いクラブに入るも、
いじめが酷く辞めました。
そして、流れるまま部活はなぜか英語部に。
すると途端に、立場が逆転したのです。
正直、サッカーをやってる時は1軍でした。
男女関係なく仲良くしてクラスの輪の中心の1人。
ですが、辞めてからはこの画像で言う3軍ですね。
・モテない
・帰宅中にヤンキーに絡まれる
・GANTZのネギ星人ってあだ名を付けられる
スクールカーストの底辺となり、
『陰キャラ』という扱いにされます。
もう陰キャラやだ。
何より陽キャラや女の子の前で
大丈夫なフリをし続けるのがツラかった・・・。
俺も青春したい!モテたい!
それでも顔も良くない、話も面白くない
そんな僕を相手してくれる女の子がいる訳もなく
・陰キャラ
・爆発級の癖毛
・英語部
・低身長
・ヤンキーに絡まれる
もうどうあがいても中学で逆転するのは無理だったので、
高校で再びサッカーをすることを決意することに・・・。
高校で華やかに過ごすはずが・・・
まずスクール上位に入るためにサッカー部に入り、
陽キャになろうと努力しました。(サッカー自体は好きでした)
頑張って今までの青春を取り返そうとしていたのです。
部活終わり教室に残って友達とモンストしたり。
部活のメンバーでディズニーランドに行ったり。
中学の時は女の子とも喋れなかったのが、
高校に入ってからはサッカー部というだけで自信も湧き話せた。
(よくよく考えたら意味不明な自信・・・)
そういった小さな成功体験を積んでいけばいくほど、
『ああ、やっぱ人は肩書きを見て、人を判断するんだな〜』
と決めつけるような価値観が植え付けられていたのです。
他人の顔を伺って媚を売る。
いつもヘラヘラして”良い人”を演じる。
嫌われる・拒絶される・表面上の友達がいなくなる
とにかくこれが怖かった・・・。
・スマホを取られて知らない女の子に告白LINE送られたり。
・Twitterに隠し撮りされた僕の写真を投稿されたり。
・授業中に消しゴムのカスを頭に乗っけられたり。
今思えば、イジメというか犯罪だったかもですが、
陽キャラという立場を死守したくて。。。
『これはいじめではなく、”イジリ”なんだ」
という解釈で耐えていました。
モテるために毎日ワックスをつけていましたね。
JKと同じように髪の毛に全集中してました。
自分で言うのもアレですが、
彼女を作るために空まわりするキモ男です。
結局、高校時代は”良い人”枠は守り抜きましたが、
彼女はできることなく、ボールが彼女状態でした。
常にずっと周りの目を気にしてる自分がいて。
でもそんな自分が一番嫌いで、だけど変わる勇気も意志もない。
ただ親に言われた通りに、レールに敷かれた”正しい”とされてる
人生を思考停止で歩もうとしていました。
親の『理系の大学に行けば、良い会社に入れる』という
言葉だけを信じて、地元の化学の大学に進学した。
サークルの後輩の子が僕の思考をぶっ壊す
大学に入ればもちろん欲しいのは『彼女』です。
ですが、これまで1人も彼女を作ったことがない童貞には
あまりに難易度が高い試練でした。
そこで僕は大学1年生を”恋愛心理学”の独学に使いました。
Youtubeで恋愛の動画を見たり、本を買って読んだり。
実際に女の子の知り合いに試してみたりして少しずつ身に付けていきました。
まあそれでも簡単に結果が出る訳もなく、あっという間に2年生へ。
僕が所属する学園祭実行委員のサークルにも後輩が入ってきた。
その中で一際オーラを放つ美女がいました。
「あんな子とデートできたら楽しいだろうなぁ」
なんて妄想しながら、サークル活動をしていると、
その美女(Y子ちゃん)と一緒に作業することがあって。
その中で意外とお笑いの趣味だったり、映画の趣味が似てたり、
仲良くなることができたんです。
そしてある日、ダメもとで独学で学んだ渾身のLINEテクで
デートに誘ってみた。
告白でもないのに心臓がバクバクだったのを覚えてます。
すると、「イイですよ!私もそう先輩と遊びたいです!」と。
自分の部屋で『っしゃー!嬉しすぎ!!』とガッツポーズしましたw
デートプランは授業終わりに映画館で
「君の膵臓を食べたい」を見に行き、その後サイゼリヤに行くというもの。
最初こそ緊張しましたが、徐々に緊張もほぐれて
いざ映画館へレッツゴー。
まさかの鑑賞中に僕のお腹がグ〜と鳴るというアクシデント。
「あ、神様まだ僕に試練を与えるのですね。。。」って笑った、、
ひんし状態でサイゼリヤでもしっかり可愛いY子ちゃん。
そんな彼女に気を許してしまい、つい相談してしまう。
「Y子ちゃん、俺さ常に他人の顔色を見て生きてきてさ。
実際、今日もY子ちゃんの隣を歩いてると、他の歩行者の人に
「釣り合ってねー」とか思われるんじゃないか、とか考えちゃってさ」
っていう男らしさゼロな話を勝手に始めてしまい、
あ、終わったな、これは嫌われるわ。そう思ったら彼女がこう言ったんです。
Y子ちゃん『他人からの印象が気になるのはわかりました。
でもそう先輩はどうしたいんですか?』
僕「え?俺?」
Y子ちゃん『はい、最後は自分がやりたい方に走らないと、
あとで必ず後悔しますよ?そう先輩はどうしたいですか?」
僕「俺は...俺はこのままY子ちゃんと仲良く遊んでいたいです(敬語になるw)」
Y子ちゃん「私もです。もっと自信持ってください!
なんたって私がデートしてるんですからw」
僕「そうだねwそれは間違いないですw」
という少し甘く、ただ脳に衝撃が走った場面でした。
「あ、自分がやりたいことをやっていいんだ。
そこに他人の意見は考える必要ってないんだ」ということを学びました。
それからその学内1位の美女Y子ちゃんと付き合うことが
奇跡的に叶うも、1年後に浮気をされ悲しくも破局しました。
ショックは1年ほど続きましたが、その辺の話はまた今度w
そして就活シーズン、これだけは親に感謝するべきかもしれない。
周りが就活で苦しむ中、3年終わりの2月には大手の内定をゲットしたんです。
それに最終面接までは茶髪で合格。
そんな訳で4年はとにかく怠けた。
理系特有の忙しさも”就活”とウソをついて休む。
そして僕は地獄を味わうことになる...
1週間で「留年通知」と「卒業証書」をもらう
とにかく最低限だけこなして、後はサボりまくっていた4年。
とんでもないことがラスト成績発表の日に起こる。
なんと取れてると思っていた科目が落とされていたんです。
「え?どういうこと?レポートは全部出したはず。。。」
読み込みミスと思ってやり直しても変わらない。
「終わった。これで留年&内定取消じゃん」
親に報告し怒鳴られようと覚悟して帰宅。
しかし、待っていたのは怒りの両親ではなく、「号泣の両親」でした。。。
「どうしてこうなってるの?卒業できるって言ったよね。」
「あんた、怠けてたからこうなったんじゃないの?」
泣きながらそう言った母。父はずっと黙ってた。
その言葉に何も言い返せなかった。その通りだった。
学校はサボって友達とオールで飲み会、家ではぐうたらYoutube鑑賞。
家での僕しか見てない親からは尚更ダメな人間に見えただろう。
「そうはどうするの?私たちはもう学費は出せないからね。」
そこでも何も言えず、次の日ダメ押しの通知が・・・
「留年通知」です。
これが来た時は死んだと思いましたね。
というか親の泣いた顔がショックすぎて死にたかった。
でも、少しだけ冷静に考えたら納得いかないことに気づきました。
「授業で言われた条件は満たしたはず。それなのに不合格はおかしい」
どうせこのまま負けたら留年で人生終わる。
きっと親からの信頼も失って家からも追い出される。
だったら1人でも大学と戦ってやる。
そう決心した僕は学校に乗り込み、担当の先生と口論。
アレだけ周りの目を気にせずバトルしたことは初めてだった。
1週間の間、先生とのバトルは続き、
その結果、僕は未来を勝ち取った。
この時ほど生きてる実感を感じたことはないですw
そんなこんなで何とか卒業を勝ち取り、
無事、信じて疑わない勝ち組ルートに進みました。
しかし、そんなものはあっさり崩れ去りました。。。
一ヶ月で異動事例、そして残業地獄で病院送り
壮絶なバトルの末、勝ち取った勝利のルート。
「もう大丈夫。これで幸せに順風満帆な人生だ」
そう思っていました。
コロナということもあって最初の1週間はリモートでした。
そして職場の配属発表の日。ワクワクして伝えられた場所。
「田舎のスーパー???都内じゃないの???」
そう、コロナでスーパー業界が忙しくなった影響で
急遽そっちに人員を割かなくては行けなくなったらしい。
せっかく社会人になったのにこれじゃあバイトじゃん!
そうボヤいてました。
そしていざ始まるとやっぱりバイト。
僕は「惣菜コーナー」だったので、お弁当作ったり唐揚げ揚げたり。
今思えば面接でアルバイト経験を聞かれ「スーパー」と
答えてたから、そのまま流したんだろうなと思う。
そして何よりキツいのが残業。7時出勤して帰りが21時なんてことも。
しかもバイトが休めば残業確定、休みは不定期。
これを繰り返した僕はストレスで湿疹と心臓の痛みで倒れた。
幸い命への影響や鬱なんかの心の状態も平気でしたが、
これは時間の問題だと思いました。
「俺このままココにいたら死ぬ。。。」
それから個人で稼ぐ道に興味を持ち始めました。
”ネットビジネス”という世界に出会う
転職しても結局は社畜になるのがオチと思った僕は、
「自分でお金を稼ぐ方法」をTwitterで探した。
すると、
・わっきーさん(ネットで年収3億)
・キメラゴンさん(中3で最高月収1000万)
・マナブさん(ブログなどネットのみで稼いで海外移住)
という知らない世界のバケモノたちを見つけた。
それと同時に、
「俺がなりたいのはコレだ!!!」と確信した。
起業するには300万くらい必要だけど、
ネットビジネスなら初期費用はほとんど掛からない
リスクも低いし、俺にもできる!やってやる!
メンターとの出会い
とはいえ、意気込んだ次の日には挫折していました。
そうなんです。僕少しつまずくとすぐに諦める軟弱タイプなんです。
いろいろ調べても情報が転がりすぎて、何が正しくて、
まず何からしたらいいのかさっぱりわかりませんでした。
そんな感じで道筋も見えないまま
なんとなくそれっぽいツイートだけして数日後のこと。
スーパーでくたくたになり、外に出る気も起きずに
スマホをいじっていると、DMが数件届いてることに気づきました。
そのほとんどは、
「10億円ご当選おめでとうございます!!」
「必ず毎月100万円稼ぐ方法教えます!!」
など、胡散臭い日本代表みたいなメッセージたち。
その中で唯一1人だけ「お話だけでもどうですか?」
という低姿勢かつ僕の話を親身に聞いてくれた方がいたんです。
連絡を取った次の日に電話で「個人で稼ぐ」ことについて聞いた。
すると、当たり前なようで知らなかったことを言われたんです。
「独学や何となくでやっても絶対結果でないよ」
いやそうだよね、普通。
サッカー選手だってチームに入って教わる。独学だけでプロになんて無理。
こんな当たり前のこともわからず、迷走していた。
もういっそ言ってしまえ!と思って「僕にビジネスを教えてください!」
と勢いで言ってしまいました。
すると、「イイですよ、ただ簡単ではないので一緒に頑張りましょう!」
とオッケーをもらいました。
それから1週間に2回ほど電話でミーティングをしながら、
少しずつ学びながら、毎日コツコツ続けました。
コツコツが苦手すぎる、、あっ!いいこと思い付いた!
メンターを付けて1ヶ月あたりが過ぎた頃、進み具合が余りよくなかった。
メンターにはコツコツと言われたけど、なかなか継続って難しい。
仕事の疲れを抱えて頑張るのは並大抵のことではない。
僕のメンターは元介護士で両立してたと言っていたけど、
正直、僕には難しいと思ったし、
実際時間がないことを言い訳にすることも増えていた。
でもこの環境を変えたい、それだけは譲れない。
そう思った僕は時間を作る方法を考えた。
それがそう「会社を辞めちゃう」でした。
当時1円もネットで稼いでいない中での退職。
周りからは「危険すぎる」「騙されてる」「お前が心配」など
いろんな人からいろんな言葉をもらったけど、
自分のやりたいこと・なりたいものを
何かを言い訳にして諦めるのだけはもう嫌だった。
そして僕は周りの反対を押し切って会社を辞めて
実家に戻った。
ついに収益化を果たす
そうして退職してから1ヶ月。
ついに待望の初収益達成!!!
「うわ、これが自分でゼロから作ったお金か。。。」
嬉しさよりもこういうことか、と納得の方が強かった。
額で言えば外食1回分程度だったけど、
間違いなく会社でもらう給料よりも僕に取って尊いものでした。
お金が当たり前に入らない環境に身を置いたことで、
お金の重要性と逆にお金の無価値な部分に気づくことが出来ました。
そして僕は思いました。
お金よりも大切なのは、やりたいことをやっているか
お金よりも大切なのは、なりたい自分になっているか
これが僕にとっては、
『好きな人と、好きなことを、好きなだけ』になるんですよ。
もちろん簡単ではないけど、これからも基礎を軸に、
コツコツではなく、爆速で結果を出していくつもりです。
ビジネスを始めて得たもの
まずは自由を手に入れたこと
会社員時代は仕事終わりに出かけるなんて無理だったし。
休みの日でも疲れが取れずに寝るしかなかった。
それが今は思い立った時にこんなオシャレなカフェにも行ける
これは抹茶好きなビジネス仲間と平日に行ったカフェ。
ビジネスの情報交換も兼ねてるから実質仕事にできる。
次は何と言っても”スゴイ人との出会い”です。
月収200万円の同い年24歳こんな人出会ったことあります?
そんな人と”ビジネス”は繋げてくれるんです。
自分がこれまでどれだけ小さな世界に隠れていたのか痛感させられました。
これはその24歳で月収200万円の方に特別に招待してもらった
住所非公開、会員制barでのパフェ会での写真。
もう非現実すぎますよ。半年前の僕には想像もつきません。
これもあの時1歩踏み出してチャレンジしたからこそだと
今では少し自分を褒めてあげる気持ちにもなれます。
僕はこれからも進化し続けます!
次はあなたの番です!!
ここまで読んでくれた方ならわかってくれるはず。
僕なんてマジで何の才能もない凡人、いや凡人以下です。
そんな僕でもここまで来れました。
「いや、会社飛び出してますやん」
と思いますよね。でも会社って実はそんなに重要ではない。
あなたと会社は『時間』と『お金』で取引をしてる”取引先”に過ぎません。
ビジネスは時間もお金も自分次第で両方を手に入れることができるんです。
・仕事があるからごめんな。
・疲れてるから今日は勘弁して。
・お金ないから今回はパスで。
こんなこと死ぬまで言い続けるの嫌じゃないですか?
僕は絶対に嫌です。
それよりも、
・今日ディズニー行くか!
・朝も昼も夜も家族で一緒にご飯食べれる
・大好きな彼女にサプライズプレゼントできる
こんな生活の方が絶対楽しい。比べるまでもない。
それにそんな目標を追う自分を考えてみてください。
めちゃくちゃかっこよくないですか?
人生一度きりどうせならカッコよく生きたいですよね。
大丈夫。あなたにもなれます。
1歩を踏み出して後は走るだけです。
別にどんなビジネスをするか明確にしなくてもいい。
就活中、新卒で仕事に悩んでてもいい。
起業したい人、今の仕事がつまらなくて手が止まる人でもいい。
いま自分がどのレベルにいるかなんてマジで関係ないです。
気付いてますか?ここまで7000文字以上あるんですよ。
そんな長〜〜い文章を最後まで読んでくれたあなたなら
すでに他の人より何歩も先にリードしています。
せっかく今チャレンジしたい気持ちを無駄にしないでください。
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